掲載

僕が退職までの10年、お世話になった企業年金基金の機関誌にエッセイが載りました。
昨日、送られてきました。
いつも応募者が少なくて、気の毒に思って出すと翌日「掲載します」と、電話がきます。
ですから、あまり出しませんので1年ぶりです。

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「コートの怪物」
               

「ギューン!」
レモンイエローのテニスボールが、うなりを上げてフラットに飛んでくる。
そのご老人の打球に驚いた。
四十代から運動不足解消のために始めたテニススクール通いだ。
六十五歳で会社を辞め、週に二回に増やした。その代わりにレベルを一ランク落とした。
今までのクラスでは、取れると思っても取れないことがある。サーブのキレもなくなった。
まあ、仕方ないなと、それなりに楽しむだけでいいと思った。
だが私より年上の男性と女性が数人の、初めてのこのクラスに参加して驚いた。このレベルとは思えないパワフルなショットを打つご老人に「おいくつですか?」と聞いてみた。
「八十歳や」息を飲んだ。
私より十歳も上だ。
スタスタと歩けるだけでも喜べる歳だと思うが、この方はコートを駆け回っている。
妻が逝ってしまった私は、平日の午後ここへ来て、アラサーやアラフォーの女性たちとワイワイ喋りながら打つのが楽しみだ。
今更上達もあるまい、と開き直っていた。

「七十歳から始めたんよ。最初はボール遊びだけやったけど、そこから頑張った」
近くのツレらしい女性が話を取り「毎朝四時起きで、二時間もバーベル上げてるんですよ」でもう一度驚いた。
「それに昼間は走ってる」と誇らしげなご本人。
歩いてるんじゃなく走ってるんだ。そういえば、引き締まった体躯で眼力が強い。
「テニスのために筋トレやランニングを?」「そう。はまってしもたんや」とニヤリ。
私は、自分が年々下手になっていく一番の原因を加齢だと言っていた。
目はかすみ、判断も鈍り、足がもつれる。だが三十年も続けていると、上手く見えるフリもできるし、すぐに手を抜く。
真剣にテニスに向き合う覚悟や根性はとっくにない。
だが今日は初対面の八十歳のご老人のショットに度肝を抜かれた。まさに怪物だ。
これで私が下手なのも、パワー不足も、このクラブではもう年齢のせいにはできない。
終了後、怪物は「ワシは技術があかん。あんたはんみたいに上手くなりたい」と言いながら「さあ、行くで!」と、さっきの女性を呼んだ。
「どこへ?」「練習や。俺らには時間がないんや!」
あっけにとられた。

けだし名言である。その意欲と行動力があるかぎり、時間は無限に生まれるだろう
年齢とは単に産まれてからの年数である。
意志の力はそれで測れるものではない。
若い人でも錆びついた人もいれば、この怪物のような強い意志を持つ、輝く高齢者もいる。
これで私も、ここでは加齢のせいだと言い訳もできなくなった。

よし、私はバーベルの代わりに、二人の孫をもっと抱いて腕力を鍛えあげようと決めた日になった。




反省;「もう年齢のせいにはできない。」と、「ここでは加齢のせいだと言い訳もできなくなった」」が、かぶっています。お恥ずかしい文章です。
追伸;僕の文章は「だから」「そして」「しかし」などの接続詞を意識的に嫌います。

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妻の分まで

妻の分まで生きる。
僕はよくそう言います。

それは、妻が「生き残した寿命」、まっとうするはずだった寿命を、僕が引き継いで生きることを意味しています。
僕の誕生日に逝ったのですから。

妻の「生きざま」は、手本にできても、マネできるものではありません。
僕のように卑しくなく、理知的で、誰にも優しく振舞い、いつも心穏やかで。。
僕と正反対です。

僕の最大の欠点は育ちからくる卑しさ、です。
ですから彼女のように,僕が生きることは無理でしょう。
でも、僕は間違いなくあの日、彼女の人生を受け継いだのです。
本当はもう何年かは生きるはずだった人生を、僕にバトンタッチされたからです。
妻の「分」とは、「生きたはずの年月」、寿命です。

生きざまではありません。
そうありたいと思いますが、たぶんムリです。
でも、間違いなく人生は受け継ぎました。
「生き方はお父さんらしく」でいいよ、と妻は言っていると思います。
でも、妻のように生きていけたら、とも思います。
いつもお手本でしたから。

これからの人生を、妻の残した分まで生きていく。
当初は(今でも時々は思いますが)、妻のもとへ早く行きたいという気持ちに苛まれました。
楽しみも喜びも何にもありませんから。
そして悪いこと、悔やむことばかり思い出します。
楽しかったことや笑顔は思い出さず、泣き顔ばかりなんです。
テニスの帰りでも、「ごめんね、僕だけこうやって健康に遊べて。お母さんもテニス大好きやったのに」
そう思うと涙ぐみます。

でも思ったんです。
妻はそんな僕は嫌いだろうと。
ジメジメ、イジイジ。。。
「もっと開き直ってよ」
「私はいつも傍にいる。だから人生を楽しんで。
やけになったりしないで、これからも私と一緒に歩んでいこうね」
と言っているだろうと。
そしていつの日か、「もうこっちにおいで」と呼んでくれるまで、妻が生き残した人生を歩む。
この家で、この土地で。

彼女のエッセイを書くと、こういう心境,、この結論になるんです。

小説の。。。

プロットが決まらない。。。

朝ばれエッセー

久しぶりに投函した。
最近、1ケ月に1作品応募しているが、3連敗中だ。
今回は道産子さんに刺激された。(^^♪

「クリスマスの思い出」

道産子さん。
朝一番で読ませていただきました。
内容も素晴らしいですが、特に最後の3行が効いてますね。
さすがです。

愛顔(えがお)あふれる感動のエピソード

愛媛県主催の本コンテストで「入賞」の通知が来ました。
知事賞、せめて優秀賞を期待していたのですが、入賞にとどまりました。
1昨年は祖母ネタで佳作でしたから、1ランク上がったのはいいのですが。
発表、表彰式は2月28日らしいのですが、行きません。

妻の最後に近い日のことですが。
妻は喜んでくれたかな。。。

君が読んでくれるなら

何か、少し嬉しい足音が、遠くから聞こえてくるような気がします。。。

気のせいでしょう、きっと。

あるエッセイコンテストで、最終選考に残っているという連絡文書がきました。


今までの数年間で、この通知を2度受け取りましたが、2度とも結果として落選でした。


でも、1次、2次選考を経ての最終選考ですから、それなりのハードルはクリアして、、、、、


そう思って自信に変えてがんばってきました。


家族で金沢方面に旅行に行ったのがもう、ずいぶん前。


妻が元気に歩いていたころです。


ここ数年、(今年は当然ですが)飲みにも、温泉も、プチ旅行もいかず、ひたすら妻の看病に没頭し、


その後は一人で籠って、家事と書き物をしてきました。


ムダ使いもせず、昼食に好きなラーメンも食べる時間を惜しんで、ディナーは回転ずし程度で楽しんでいます。


そもそも妻がいなくては、どこへも行きたくないし、何も食べたいものもありません。


でも、、、そんな中で、、、何かの兆しがあります。


そろそろ、爆発するような嬉しいことが起きてもいいころでしょう。


「お空の上から読むから、私のこといっぱい書いてね」


言い残したお母さん。


約束は果たします。(^^♪

チェーンストア川柳

3句投句した。

来た!!

大きなコンテストの最終選考に残っているので、身分照会するという文書が届いた。

これは、一番ほしいコンテストだ。
妻が逝った直前、主治医との信頼のことを書いたエッセイ。。。
正式発表は2月、まだ先だ。

もし最優秀なら。。。賞状を持って、あの病院の主治医に会いに行く。

「お母さん!最優秀が欲しい!!」

こんなブログでも

すてきなブログを書いている方が来られる。
でも、そういう素敵なブログほど、メッセージやコメントの残し方がわからない。
僕のこのブログでもメッセージを残すのが、ややわかりにくい。
なんでだろうか。
こう感じruのは僕だけだろうか。

だから僕はメインのブログはアメブロを使っている。
本人の自己満足だけのブログでは交流できない。

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