またダメか。。。

産経新聞朝晴れエッセイ。。
連絡が来ないから多分ダメだったのだろう。
これで4連敗。
去年の9月に載って以来、全く掲載がない。
今回のは自信があったんだけどなあ。。。
しゃあない。
また書こう。
四国新聞には昨日、4月分を投函した。


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惜しかった作品

 コピペします。読んでやってください。


「最初と最後の花束」

街に、五輪真弓さんの「恋人よ」が流れていた年の二月、婚約していた彼女の誕生日にデパートから二十七本のバラの花束を贈った。
「大好きです」とメッセージを添えた。
彼女が独身最後の思い出に「夢だったんです」と欲しがったのだ。
貧乏だった私には、それが精一杯のプレゼントだった。
飛び上がって喜んでいたと、後に義母が教えてくれた。
その後、一度も歳の数のバラは贈ってやれなく、いつも十本だけ。
決して豊かではなかったが仲のいい夫婦生活が続き、一昨年秋には、三十七回目の結婚記念日を迎えた。
すでにガン宣告を受けていた妻は何度も手術を受けていたが、その日がまさか最後の記念日になると思わず、私はいつものように十本の深紅のバラの花束をプレゼントした。
花束を前に、初孫を抱いた妻は嬉しそうだった。
数日後、バラをドライフラワーにした直後、腹痛がひどくなった妻は緊急入院して六度目の手術を受けたが、想像以上にガンは広がっていて、先生からは深刻な状態だと告げられた。
もう年末になっていた。
だが妻は「もうすぐ誕生日が来るね。最後にやっぱりバラの花がほしいな」と言う。
最後の誕生日になることを察していたのだ。
そんなことはない、という言葉を飲み込んで、夫婦になって一度も歳の数の花を贈ったことがないと謝ると「そんなのいいよ、もったいないから」と笑った。
誕生日は二月の節分の日だった。
玄関に花束を飾り、豆まきを楽しんで恵方巻にかぶりつく。
妻の誕生日の恒例の行事だった。何とか誕生日には歳の数のバラを抱かせたい。
正月には一時帰宅もできた。孫を抱いて祝い酒にも口をつけた妻が病院に帰ってから、私は妻のベッド脇に泊まり込んだ。
二週間後、泣きじゃくる娘たちに囲まれ、妻は急ぎ足で旅立ってしまった。
あの十月の結婚記念日に、苦労ばかりかけた妻に、どうして夢を叶えてやらなかったのか悔やんだ。誕生日まではあと半月だった。
私は子供たちに提案した。
少し早い誕生日のプレゼントをしよう、好きだったバラを抱かせて送り出そうと。
知人が六十五本の深紅のバラを通夜の席に間に合わせてくれた。
結婚するときと天国に旅立つとき。最初と最後は歳の数だけプレゼントできた。
喜んでくれただろうか。
葬儀社は、バラを切って顔の周囲に埋めようとしたが、私が制して花束のままで「お母さん、誕生日おめでとう」と言いながら抱かせてやった。
ずっしりとした量感は六十五年の人生の重さだ。
「重いで!」笑顔でそう言ってる気がしたが、重いで!は妻であり母である彼女の「想い出」という宝物そのものだ。
花束に家族それぞれのメッセージを入れた。
私のメッセージは当然、「向こうでも結婚して下さい」とプロポーズの言葉だ。
返事は再会した時に聞く。

四国新聞/惜しかった!

25日の四国新聞朝刊で、今月初めに投稿したテーマ「花」のエッセイに、僕の作品が紹介されていましたのでコピペします。
友人から写メがきました。

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いつもは、第1~3席の3作品しか掲載しないのですが、今日はなぜかもう3作品「惜しい作品」として、アラスジを載せてくれました。(よほど惜しかったのかな?)
でも、この選者の先生、作品をよく読んでないですね。
結婚記念日は「秋」、誕生日は2月で「あと半月」と書いたのに、「結婚記念日を過ぎた直後の棺に、、、」だって。」(笑)
僕はいつも時系列は正確に書きます。
島田さんと言う方の作品も紹介されていますが、この若い女性は僕の最近の知人です。(^^♪

「愛顔感動ものがたり」

入選しました。

12月に連絡が来ていましたが、ライブ配信の表彰式が終わり昨日、作品が公開されました。
主催は愛媛県で毎年募集しています。
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「笑顔」を「愛顔」と書き、「愛顔あふれる愛媛県」をキャッチフレーズに、「愛顔あふれる感動のエピソード」を募集しています。
エピソードですので文芸的なエッセイではありません。
応募に何の制限もありませんので、毎年多くの応募があります。
今回は海外を含めて4,961作品集まったそうです
その中の20作品に選ばれ、入選でした。
僕は1昨年も佳作に入りましたが、佳作ではちょっと寂しく賞金がありません。
まずは、僕の作品をコピペします。読んでやってくださ


「命を懸けたプレゼント」

ベッドに座って窓の外を見ている妻の横に並んで腰かけた。妻は末期のガンだった。

七階のこの病室の窓からは妻が通った学校や職場、我が家の辺りも見える。

妻はここから毎日、家に帰って行く私を見送りながら、この景色を見ていたのだ。

見送るのは寂しかったと、今日初めて本音を口にした。  

妻は「この街で」という歌が好きだった。この街で育ち、恋をして、母になる。

おばあちゃんになっても好きなあなたとこの街を歩きたい、という人生賛歌だ。

だが、孫が生まれておばあちゃんになった今、妻が毎日見ているのは、

苦労続きだった人生が、もう終わろうとしている景色だった。

手を取ると何も言わず強く握り返してきた。

痩せた背を撫でてやると、こう言った。
  
 「ありがと。気持ちいい。このままで逝けたら一番いい。お父さんに撫でられて」

妻は痛みや苦しみから解放されて静かに逝くことを望み、延命治療は拒んでいた。

「お母さん、今夜から僕がここに泊まるからね。これからは決して一人にしないから」

むくんだ足をさすりながらそう言うと、「死ぬまで?」と妻は聞いた。

「いや、死んでからもやで」と私。

「嬉しい。ありがと」

妻は少女のような笑顔で私に微笑んだ。それが妻の最高で、最期の笑顔だった。

「もうすぐお誕生日ね。そこまでは無理かな。だから今、おめでとうを言っとくね」  

三週間ほどで私の誕生日、そこからまた三週間で妻の誕生日が来る。

私はただ泣いた。

やがて意識がなくなった妻は、望み通り苦しまず、深い眠りの中で静かに旅立った。

その日はなんと私の誕生日、その日だった。

妻から命を懸けたプレゼントをもらった私は、夫婦位牌を作り二人の戒名を刻んだ。

約束通り向こうでも一緒に暮らせるように。

私の胸には、あの夕景に紅く染まった妻の愛くるしい笑顔がいつも浮かんでいる。


この作品に出て来る「この街で」は、僕が大好きな歌です。
愛媛県の松山市で一般公募され、新井満さんが曲を付け、歌っていますが、トワエモアも吹き込み、このデュオの旋律のほうが僕は好きです。
新井さんは今回のコンテストの審査委員長ですが、名前だけですので実際には読まないでしょう。
僕は、いつかこのエピソードをエッセイにしたかったんです。
ただ、妻より僕のほうが大好きな曲でした。
712号室から見た妻の育った景色。それを本当に二人で見つめて泣きました。
昨夏、そのことを思い出しながら、泣きながら書いた作品です。
だからいまも、この曲は聴けません。

ただ、文中にひとつだけ書き残したことがあります。
「お父さんに撫でられて」に「大好きな」と言ってほしかった、という部分が字数制限でどうしても入りませんでした。
後悔です。(#^.^#)

今年はもう、自信のある作品の発表待ちはありません。
あとは新聞への投稿ですが、それより小説に取り掛かるつもりです。

並べてみた

DSC_0018 (2)

政府からいただいた「家族の日」の作文コンクールで優秀賞を2度いただいたものと、並べてみると
それなりに壮観ですね。(笑)
妻も喜んでくれているでしょうか。


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