新聞週間標語と川柳景品

10分で考えて送信した。

相続川柳の景品がきた。
嬉しい、ビール券だ。(笑)

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標語応募

〇2021年度世界アルツハイマーデーの標語を2作品応募した。
〇令和3年度・時を守る会標語に1作品応募した。

どちらも締め切りギリギリだった。
あとは4/23締め切りの新聞週間標語と月末期限の政府系標語だ。


相続川柳

佳作に入ったようです。

1.損得で 継ぐなら寄付に 父の遺志

70代 男性 紫雲山

応募数3,944作品中、20作品に入りました。
そして、上位100句にも2作品入りました。

2.がんばって 建てた家だが 好きにしろ
3.遺産より 遺志継ぐわが子に うれし涙


3作品しか出していませんから、全部入ったようです。

川柳は久しぶりです。(^^♪

またダメか。。。

産経新聞朝晴れエッセイ。。
連絡が来ないから多分ダメだったのだろう。
これで4連敗。
去年の9月に載って以来、全く掲載がない。
今回のは自信があったんだけどなあ。。。
しゃあない。
また書こう。
四国新聞には昨日、4月分を投函した。


惜しかった作品

 コピペします。読んでやってください。


「最初と最後の花束」

街に、五輪真弓さんの「恋人よ」が流れていた年の二月、婚約していた彼女の誕生日にデパートから二十七本のバラの花束を贈った。
「大好きです」とメッセージを添えた。
彼女が独身最後の思い出に「夢だったんです」と欲しがったのだ。
貧乏だった私には、それが精一杯のプレゼントだった。
飛び上がって喜んでいたと、後に義母が教えてくれた。
その後、一度も歳の数のバラは贈ってやれなく、いつも十本だけ。
決して豊かではなかったが仲のいい夫婦生活が続き、一昨年秋には、三十七回目の結婚記念日を迎えた。
すでにガン宣告を受けていた妻は何度も手術を受けていたが、その日がまさか最後の記念日になると思わず、私はいつものように十本の深紅のバラの花束をプレゼントした。
花束を前に、初孫を抱いた妻は嬉しそうだった。
数日後、バラをドライフラワーにした直後、腹痛がひどくなった妻は緊急入院して六度目の手術を受けたが、想像以上にガンは広がっていて、先生からは深刻な状態だと告げられた。
もう年末になっていた。
だが妻は「もうすぐ誕生日が来るね。最後にやっぱりバラの花がほしいな」と言う。
最後の誕生日になることを察していたのだ。
そんなことはない、という言葉を飲み込んで、夫婦になって一度も歳の数の花を贈ったことがないと謝ると「そんなのいいよ、もったいないから」と笑った。
誕生日は二月の節分の日だった。
玄関に花束を飾り、豆まきを楽しんで恵方巻にかぶりつく。
妻の誕生日の恒例の行事だった。何とか誕生日には歳の数のバラを抱かせたい。
正月には一時帰宅もできた。孫を抱いて祝い酒にも口をつけた妻が病院に帰ってから、私は妻のベッド脇に泊まり込んだ。
二週間後、泣きじゃくる娘たちに囲まれ、妻は急ぎ足で旅立ってしまった。
あの十月の結婚記念日に、苦労ばかりかけた妻に、どうして夢を叶えてやらなかったのか悔やんだ。誕生日まではあと半月だった。
私は子供たちに提案した。
少し早い誕生日のプレゼントをしよう、好きだったバラを抱かせて送り出そうと。
知人が六十五本の深紅のバラを通夜の席に間に合わせてくれた。
結婚するときと天国に旅立つとき。最初と最後は歳の数だけプレゼントできた。
喜んでくれただろうか。
葬儀社は、バラを切って顔の周囲に埋めようとしたが、私が制して花束のままで「お母さん、誕生日おめでとう」と言いながら抱かせてやった。
ずっしりとした量感は六十五年の人生の重さだ。
「重いで!」笑顔でそう言ってる気がしたが、重いで!は妻であり母である彼女の「想い出」という宝物そのものだ。
花束に家族それぞれのメッセージを入れた。
私のメッセージは当然、「向こうでも結婚して下さい」とプロポーズの言葉だ。
返事は再会した時に聞く。

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